2011年12月8日木曜日

人見知りフェルメール番外編:「アリスの庭」

宮城県美術館には「アリスの庭」というゾーンがあって、屋外に様々な銅像が置いてあります。公園として一般に開放している場所でもあるので、金払わなくてもいくらでも入れるみたいです。

最初の方は、建物の影の小道に、ちょっと変な像が置いてあるくらいでした。
目がちょっと怖めのでかい猫とか、見てるとなんだか切なくなってくる人(?)の像とか。




まあそれも何か不気味で、「ここおかしくない?」と疑問に思ったのですが、その疑問が確信に変わったのが池に置いてあった像を見た時です。



















「水犬(英語でAqua Dog)」と言うらしいのですが、ガリガリに痩せこけたその姿と、虚ろな眼差しを見れば見るほど、途方もない不安感に苛まれます。
多分、こいつを作った人にも様々な想いがあったのだと思います。少なくとも何かを心に訴えかける、そんな作品であることは間違いないです。

また、この写真では見づらいですが、奥の壁には「ヘビ出没注意」の壁紙が貼ってあります。いろんな意味で完全にレッドゾーンです。職員の方もお忙しいとは思いますが、なんとか駆除してほしいものです。

その横に行くと「馬に乗る男」という像が置いてあります。




こいつも目がちょっと怖いんですが、体のアンバランスさとか、後ろ姿の間抜けさとか、いろんな点で愛らしさを感じます。
ただやはりこいつに関しても「なんなんだこいつは?」という想いがふつふつと湧いてくるあたり、芸術ってやっぱすごいんだな、って思います。


大学のこんな近くに、こんな謎の空間があるとは思わなかったので、なんだかとても得した気分になりました。
まあ、すごい程度の低い視点で見ている分恐縮ですが、行ってみるとすごい楽しめるスポットではあると思います。暇な人は是非ここで鬼ごっことかやったらいいんじゃないでしょうか。


高橋

人見知りフェルメール会

12/4、暇な人見知りがフェルメール展に行きました

1年生は前日TOEFLがあった関係上、来た人もいろいろお疲れ状態でした。風も強く、外においてあったゴミ箱もバッタンバッタン倒れてたりしてました。

さて、フェルメール展では、フェルメール以外の画家の絵も合わせてしっかり見てきました。ぞろぞろ連れ立って見るのは人見知り的に疲れるので、基本的には個人行動です。

あんまり絵に詳しくないんで深い洞察はできませんでしたが、フェルメールの手紙をテーマにした絵を見ながら、昔の人はどんな風に想いを伝えたんだろう、とか、手紙での意思疎通をどれほど大切なことと思っていたんだろう、とかそんなことを思いました。

多分、新しいメディアが普及し始める黎明期って、そのメディアを使う、っていう「行為」そのものが意味を持つと思うんです。「こんなんあるぜ、やばくね?」みたいな感じで、手紙とか携帯とか、使うこと自体が「楽しくて」やっちゃう。でも、それがやがて当たり前になってくると今度は行為の「意味」を求められるようになっちゃって、最初の頃の楽しさはどっか行っちゃったなー、みたいになるんじゃないでしょうか。

人見知りな僕は確実に「意味を求められる」時代にいます。メールを送るときも、その辺歩くときも、授業を受けるときも、「なぜ」を考えさせられます。僕としては、「なぜ」を考えさせられると、「あ、すいません、特に意味ありませんでした、消えます」って思考に行ってしまうので、どうしても人を避ける傾向にあったりします。

もしも何かの黎明期に自分があって、「なぜ」の思考をちょっと停止させて、「行為」自体に没頭できる状況にあったとしたら、いろいろと楽だろうなー、と思いました。人見知りって多分考え過ぎなんだと思う。

だらだらとどうでもいいこと書きました。


一通り特別展示を見終わってから外に出ると、「もう常設展も見終わった」というハイペースかつマイペースな部員が一人。個人行動だなー、って思って常設展に行き、その後に魔窟「アリスの庭」を訪れます。

「アリスの庭」については次の投稿にして、最後にフェルメールの絵を載せます。


窓辺で手紙を読む女



高橋







2011年11月7日月曜日

人見知り芋煮会

 「あえて学祭の日に人見知りが芋煮をやる」
 という野望から、今日は芋煮をしました。
 牛越橋ではなく、仲の瀬橋です。二校の近く、セブンイレブンを通ってまっすぐ行くと出る橋の下です。
 事前準備を怠ったので、かなり行き当たりばったりになりました。参加者(計4人)が集まった段階で発覚した問題は、以下の3つです。

・はし、ゴミ袋が無い
・調味料が無い
・なべが無い

 「まあ、なんとかなる」と思ってまずCOOPに行きましたが、なべはすべて貸し出されていました。祝日はやはりみんな芋煮をやるみたいです。しょうがないのでセイユーに行ったら運良く借りることができたのでよかったですが、もしかするとなべが手に入らなかったかもしれません。本当によかったです。
 実を言うと「おたま」も無かったのですが、そこは機転を利かせて持ってきてくれたメンバーのおかげで何とかピンチを脱しました。



 いろいろと面倒くさがった結果、材料は切ったもの、火はガスコンロを使用します。
 水が沸騰した後、材料を入れて、煮ます。



 写真にちょっと写っていますが、担当者がネギを切って持ってこなかったため、このあと「手でちぎって」なべにぶち込みます。









 結構煮立った後にしょうゆを入れます。このあたりになってようやく美味しそうな雰囲気になってきました。
 芋煮を初めて1時間くらい過ぎて、ようやく出来上がったというころに僕はいったん大学祭のシフトの方に戻ったのですが、芋煮の方に帰ってきてみるとほとんど芋煮が無くなっていました。



 よほど美味しかったということでしょうか。食べてみると大変味がしみていて良かったです。

 いろいろバタバタしたこともありましたが、結論を言うと、「普通に終わった」、という感じです。
 芋煮という僕達人見知りにとっては全く未知なイベントも、やってみると案外簡単なものだと感じました。さしずめ、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といった感じでしょうか。「やってやったぜ」、的な。

 いろいろ忙しい中協力してくれた方やこの企画を温かく見守ってくれた方に感謝します。


高橋






2011年11月3日木曜日

B級スポットめぐり

 勉強会のあと、先輩の提案を受けて「三居沢発電所」と「三居沢不動尊」、そして「交通公園」を見に行きました。
 三居沢発電所は日本で最初に水力発電を行った場所だそうで、その歴史資料を展示しているコーナーを見学しました。なぜ仙台で初めて水力発電を行ったのか、いまいち謎ですが、なんだか小学四年生のときの社会化見学をしているような気分になれます。
 この写真は、資料館のバルコニーから撮った写真です。レンガを見て和む人にとってはきっといい場所だと思います。

 そのあとに三居沢不動尊を見に行きました。心霊スポットとして有名らしいですが、行ってみるとそう言われる理由が分かります。数百メートル先でのにぎやかな風景とはまるで違う雰囲気を堪能することができました。

 最後に、交通公園を見に行きました。交通公園、という単語を聞いたことのある人は多いかもしれませんが、実際に行ったことのある人というのは少ないと思います。
 交通公園は、一言で言えば「異世界」です。
 交通公園の中では私たちの世界の交通ルールが忠実に再現されています。信号や横断歩道に歩道橋など、交通公園は奇妙なほどにリアルな空間なのです。おそらく、交通公園を訪れた人は、最初その違和感に気づくことも無いでしょう。しかし、やがて気づくのです。
 「なぜ自分は公園に来てまで信号待ちをしているんだ?」
 その瞬間、交通公園の中と外の両方で展開されるリアルが、自分自身の中でせめぎあいます。虚構と現実が交差し、何が現実かを見失ってしまう、そんな現象を交通公園は引き起こすのです。

 牛越橋の近くにこんなB級スポットがあるなんてまったく予想もしていませんでした。今後の活動として、こういうB級スポットに足を運んでみるというのもありかもしれません。



高橋











2011年11月1日火曜日

芋煮勉強会

 
青い空。生い茂る草花。そして、芋煮にいそしむ人々。
 そんな風景を見て俺達「人見知り」は何を思うのだろう。
 10月の末にも関わらず、あたたかで穏やかな一日。
 別に芋煮をやっている人たちを冷やかしに行ったわけでもない。
 ただただ、「休日の昼間に俺は何をしているんだ」と自問する小一時間。
 俺はあのとき何をしていたんだろう。
 芋煮を勉強する、そういう名目で俺たちは川原にやってきた。しかし、そこで目の当たりにしたのは、楽しそうに芋煮に興じる人々の姿である。その人たちを前にして一体何が出来るというのだろう。ただ、黙って見ているしかないのである。何も考えず、ただ見ていることしか出来なかったのだった。
「帰りましょうか」
 
 なぜか、晴れやかな気持ちだった。羨望、妬み、絶望、そんなものは一切無い。ただ純粋に、芋煮を見ることが出来たこの一日に感謝した。もう見ることは出来ない芋煮、もう二度とやってこない芋煮、そんな素敵な瞬間に居合わせることのできためぐり合わせに、心から感謝した。
 いつか芋煮をしよう、そう心の中で、決心した…

 っていうことで芋煮をやります。11月3日、あえて学祭の裏番組的な形で学校の近くの橋の下でやります。雨が降ったらやめます。準備、材料は徹底的な省エネ方式(ガスコンロ、すでに切った野菜の使用)でいきたいと思います。
 芋煮をやったことが無いのでどうなるのか分かりませんが、まあなんとかなると思います(無理っぽそうになった段階で中止)。

高橋
 

2011年10月30日日曜日

人見知り昼食会の模様

既に2回、人見知り同士で昼食会を行いました。(10/18、10/25)。
ブログの更新を行わなかったのは、単に怠けていたからです。

「人見知り同士で昼飯を食ってみるとどうなるのか、どんな気分になるのか」
それを確かめたくて開催してみたわけですが、確かに「なんとも言えない気分」にはなりました。

以下は僕個人が勝手に感じたことです。

まず、人見知りなので会話が少ない。もし通りがかりの人が僕らのテーブルを見たら「これじゃあ一人で食ってんのと変わんねえじゃねえか!」と言うと思います。一応楽しく会話したりもしていたのですが。

そして、周りの声が大きすぎてみんなの声が聞き取りづらい。っていうか、大声出すの申し訳ない。

さらに、思ったより優越感が無い。むしろ、一人で食っているときの気分を知っている分、よくわからない申し訳なさを感じる(俺なんかがテーブルをこんなに占有してしまっていいのか?)

この機会にいろいろしゃべることの出来た人もいたので、それはそれで楽しかったのですが、当初予想していた「充足感」というものがあまり得られなかったことは素直に驚きました。



さて、第一回の参加者が4人、第二回の参加者が5人、ということで着実に参加者が増えていったことは喜ばしいことです(人見知りサークルのメーリス登録者は大体10人)。
今後も何度かやっていこうと思っていますが、「大人数で会食することによって得られる充足感」よりも「人見知り同士の交流を増やす」ということを企画目的としていくのが良いのではないかと思ったりしています。


高橋

活動目的

人見知りサークルの活動目的は、主に「人見知り同士集まってみる」ことです。

「人見知りサークルって何をするところなの?」
「人見知りを直すところ?」

など、このサークルについて疑問に思うところもあろうかと思います。
もし野球サークルであれば、野球をするところだとわかります。テニスサークル、将棋サークル、文芸サークル、どれも活動内容と団体名が結びついています。
しかし「人見知りサークル」ではそうはいきません。人によって様々な解釈があるでしょう。

今一度、「人見知りサークル」の活動目的を定義するとすれば、それは「人見知り同士集まってみる」ということになると思います。
「人見知り」は人と関わりを多く持ちません。ですから、不特定多数の人と関わるという経験をあまり積んでいないのです。
そんな「人見知り」達が、「人見知り」であることをきっかけに集まってみたらどうなるのか…

「人見知り」というのは集まること自体を目的化出来る人々なのです。
一般的に言って、「集まる」という行為は手段にすぎません。
しかし、我々にとってはそれが「目的」なのです。


もちろん、集まってみて何かが生まれれば積極的にそれに乗っかっていこうという思いもあります。
「俺は人見知りを直したい!」そういう人が何人かいれば、僕も人見知りを解消したいので、いっしょに人見知り解消法を検討していくのもアリだと思います。
「人見知りだったから、こんなことが出来なかった、あんなことが出来なかった」という願望も大歓迎です。
友達がいないから野球が出来なかった、それならば人見知り同士で野球をやりましょう。
ある授業のノートを全く取っていなかったから誰かに見せて欲しい、それならば人見知り同士で見せ合いましょう。
人見知りだから外国人に話しかけたくてもムリ、それならば人見知り同士で押しかけてみましょう。


ひとまず、「人見知りサークル」は来年4月までの延命を目標としています。それまで定期的に集まり、そして何か生まれればそれに乗っかる、そんな風にして、ぼちぼちと、ぬるぬると、やっていこうと思っています。

基本的な活動日程(暫定的)

人見知りサークルの活動日程については、今のところ以下のようになっています。

①毎月第1水曜日・第3金曜日 17:30~18:30
→人見知り座談会、その他学内での勉強会

②毎月第2・4火曜日 11:30~12:30
→人見知り昼食会(川内以外でも検討中)

③その他土日、夜あたり
→人見知りイベント。フェルメール展、ベニーランドなど。


①のネタについては、「人見知りとは何か」、「最近の若者文化を勉強しよう!」、「今週の俺はこんな人見知りだった」などを考えています。

②は、やってみたら意外とよく分からない気分になったので、新規参加者の顔見せ的な位置づけでやっていこうかと考えています。

③は、まあ人数が増えたり、予定が空いたら適宜開催ということで。

2011年10月13日木曜日

第一回人見知り座談会

 昨日の流れはこんな感じでした。

①自己紹介、人見知りアンケート記入

②人見知りサークルの趣旨説明や発足過程について簡単にお話し

③「人見知りとは何か」というテーマでディスカッション

④今後の日程について

 結果的にあんだけの広告で7人も集まったというのは大変興味深いことだと思います。
 「人来ねえだろ」と思ってたし、丸テーブルが一つ「人見知り」で埋まるという光景は壮観でした。

 中には「そんなに人見知りというわけでも無いけど、文学部の1年生ともっと交流を深めたい」という人もいました。サークル活動にもよると思いますが、やはり文学部同士の交流というのは少ないようです。

 人見知り座談会をやってわかったことは、「人見知り」が集まると大変ヌルっとした空気が発生するということです。今後も、「大学にどうもなじめない」という人たちがこのヌル感を求めてやってくることになれば、この人見知りサークルも一つの「交流の場」として発展していくのかもしれません。

 ディスカッションでは、それぞれの人見知り遍歴なんかも紐解きつつ、人見知りとは何かということでいろいろしゃべりました。どうやら「人見知りの分類付け」が必要となるような雰囲気になってきたので、次回座談会でもそのようなことをテーマにしたいと思っています。

 早い段階で人が集まりそうであればフェルメール展に団体料金で行くというのもアリだという話にもなってます(もちろん着いたら個人行動)。

 一応幸先の良いスタートを切った気がします。


高橋

2011年10月10日月曜日

東北大文学部人見知りサークルについて

 東北大学文学部人見知りサークル、一年生代表 高橋雅人です。

長い名前と活動の不透明さから、相当な胡散臭さを発しているこのサークルですが、発足理由はきわめて単純明快です。

「人見知りは人とのつながりが少ない。だったら人見知り同士で集まってみよう!!」

人見知りの人は大抵、似たようなことで悩んでいます。十分関係性の深まっていない人に対しては目をそらす、初めて入る教室は緊張感が半端じゃない、茶髪が怖いなどなど…

でもこういう悩みって本当バカバカしい。自分でも書いてて「何でこんなくだらないことで悩んでんだ?」って思うくらいです。なのに、一人で抱え込むと元気が無くなるし、ご飯も味がしなくなります。

だったら「笑いとばそうぜ」、と! 
そんなら「共有しちまおうぜ」、と!
「特にでかいことしなくていいからとりあえず集まってみようぜ」、と!

そんな風に、人見知りの「居場所づくり」を目指すのが、当サークルの目的です。